三年ゼミ ② 哲学

こんにちはー。

授業もはじまり就活やインターンのお知らせがいっぱいきてて、3年生だなって実感してる山下です。

ゼミの課題が出されたので、この記事でその答えを考えていきたいなと思います。

 

3年の活動では色んな学びにふれるとのことで最初は 哲学 からSTARTしました。これからの更新は音楽だったり美術だったり旅だったり、ブログ内容コロコロ変わっていきそうです。( 笑 )

楽しみですーーー( ´ ▽ ` )

 

そして今回した内容は、マーク・トウェインの「人間とは何か」(一部)を読んで、老人と青年の対話から利己主義について考えました。

 (利己主義とは・・社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方 )

 

課題

1  利己主義についてどんな感想を持ちましたか。

2  その理由は?

読んだ直後思ったことは、ものは捉えようじゃんか!!!正しいとか正しくないとか人によるやん!!まあでもそんなこと言ったら答えにならないので真面目に考えてみました。

空き時間とかに答えを出そうとして考えてましたが…正直難しい。ただ、老人に100%賛成はできないなって思いました。

理由は対話1の老人への奉仕についてはまあそういう捉え方もあるかなとか思ってしまいましたが、対話2において、

愛、憎しみ、慈愛、復讐、親切、赦しというものは、自己是認を得なければならないという主衝動の異なる結果だというのは違うような気がしました。

愛は正直私は理解できないので取り上げないとして、

憎しみ・復讐は、自己是認を得ることと関係あるのかなとか思ってしまって。わからないなあと。

慈愛だったり親切だったりなら自分に酔う、対話1で老人が話したような心情も人の一面として利己主義であるかもしれませんが。

人を憎いと思うことに自己是認があることが納得できない以上賛成しかねますねえ

 

3  利己主義は正しいと思いますか

正しくない…と思います。正しいと認めたくないと思う気持ちもあるかもしれませんが、全ての行為が利己主義だと一概には言いきれないと思います。

もし対話2で、助けられた子供が自分だった場合、助けてくれた人(男)の事を利己主義によっての行動だったんだとは確実に思わないし、一生の感謝と家族への償いなどなど行いそうだなと思います。

男の行動は自己犠牲ではありますが、この状況でのそれは自己是認を得たい、利己主義である!と言うより感情ではなく本能的な、、自分に課された使命みたいなものが男を突き動かしたのではないかな、、と思います。言葉ではよく説明できませんが。

 

また、利己主義の意味をwikiで調べた時、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方ともありました。

この意味で言ったら、この男の行為は子どもの利益を軽視、無視したものかと言えばほぼ違うような気がします。

そうなると 男への子供を助けたことへの賞賛>子供の生命

みたいなことになっちゃうし。

助けたってことは未来あるこどもの利益を重要視したってことになりますもん。

 

 

ううーーー、わかんないです。

結構悩みましたけど力尽きました。明日のゼミを楽しみにします。

 

それでは。また次回。

あっ、もうすぐゼミの後輩が出来るので楽しみです。