4/26 哲学ゼミ
お久しぶりです やましたです。
あ 令和ですね。平成はありがとうございました。20年ちょいしか経験していませんがなんだかんだいい時代でしたし楽しかったですな。
巷では10連休ですが。正直ほとんどバイトはいらなきゃで、休める状況じゃあない中の人です。逆に平日のほうが時間あるなあ。どんなところも人多いし、早く終わらないかな~。
はい、本題に入ります
前回の哲学の課題について全体で対話を行いました。
導入として今回講師として来てくださった須永さんに「問いを立てる重要さ」についてお話していただきました。
そのなかで印象深かったのが「問いとは脱げない鎧を脱ぐためのカギである」ということです。
私たちが赤ちゃんから成長して、いろいろなことを勉強して知識をつけていく中で、
知識というものはどうしても近い知識を引き付けてしまうのだそうです。
逆に知ろうとしないものには斥力があり、全く耳に入らないということも。
だからこそ原子力発電などで賛否が別れ、互いの意見を聞く耳をもたないという事態がおこってますよね。
その似たような知識で凝り固まった状態を解してくれるのが 問い なのです。
問いを立てるコツは、
・具体化…相手の発言をふくらませ、欠けている部分やわからない部分を探す
・展開…相手の発言が正しいとしたら何か変なことが生じないか考える
・前提…相手の発言はどのような前提から出てくるのか考え確認する
・移植…相手の発言はいま、こことは違う別の状況でも当てはまるのか
の4つに分類されるそうで
もし、なにか質問ある人とか聞かれた時にこれを頭に入れて話をきいていれば、おそらく深く理解できるだろうし、良い質問だねと言われそうな気がするので、意識して聞いてみようと思いました。
そして例の利己主義についてですが、
みんなの意見が正直ほとんど納得出来てそれでもってわかりやすくて凄いなあと思いました。
利己主義は2種類あるのではないか説がとても結局の曖昧な私の意見に近しいかなとか思いました。
全てが利己主義である、正しいとするとなんかだめな気がするんですよね。
例えば人助けをしたとして、完璧利己主義社会だったら他人からは
「あいつ自分の心の満足のために人を助けたんだぜ、そんなに他人からの賞賛が欲しいのかよ、自惚れたいのかよ」
みたいな否定的意見になりません?極論
多少の自己満足感は得られるけど行動を全否定されると精神的にくるものがありますよねえ
そんな社会じゃ人助けも生まれないだろうし…
例は思い浮かびませんが、
本当に利己的な自己満足や下心の塊で自己犠牲をする悪人もいるかもしれないし(どんな行為も全ては自分のためな利己主義)
反射的に動かされるように自己満足とか考えずに人助けのような行動をする、それが結果的に利己主義だったかもしれない(咄嗟的な感情的な利己主義)
とか2つに別れるのかなあとか。
結局のところまとめられてないという。
道徳とか倫理とか私にゃ難しかったです。
哲学自体は興味があったので大学で2コマくらい取りましたが参加型ではなかったのでとても面白かったです。
とりあえずみんなあんな短時間に思考して回答だしてグラレコして圧倒されます。と同時になんか自分も頑張ろって気持ちになれますね。
講義とかを聞いて、頭ではわかってるけど理解するのに時間がかかるタイプなので、意見とかぱっと出てくる訳では無いから
今回少し活躍できなかったなあと感じました。これを機にちゃんと自分の意見だったり質問だったりを出せるように特訓してきたいななんて思いました。
時間ができた時はニュースとか取り上げて自分の意見を書いたりしたいなと思ってて、更新頻度が多くなる場合がございますので
令和でもよろしくお願いします。
ではまた。<(_ _*)>