ゼミ(文学について)

お久しぶりです。

 

今回のゼミからは、ズバリ、【文学】です。

福岡大学の石川先生にお越しいただき、フランケンシュタインを題材に授業をやっています!

 

まず。

文学とは……フィクション、ノンフィクション問わず、自分ではない誰かになりきることが可能なエンターテインメントの一種。登場人物たちの人生や感情を楽しむ。

と先生は定義されてありました。

 

私は小説も(最近はシャーロックホームズ)読みますが、意味、なんて考えたこと無かったので、、納得しました。

確かに本を読む時は登場人物を想像しながら頭の中で考えるので、その物語に自分は出てこないし。目線を変えれば主人公にだって、悪者にだってなれる。

そうやってみてるとワクワクしたり、ドキドキしたりしますね。うわっエンターテインメント!

 

その中で課題が出されたので答えたいと思いますー

 

=1 クローン人間を作ることの是非について=

 (技術的にはあと10年くらいで可能になるそうです。びっくり)

はい、まず結論から言うなら、反対します。

 

私なりに作ったことによるメリット、デメリットを考えてみました。

メリット

1自分の代わりにできる

→何でも頼めばしてくれるから自分は何もしなくていい。同じ自分だから働きにも支障はないし、その間私は家でゴロゴロできる。他のことができる。

課題だったり、こなさなきゃならない仕事だったりを押し付けても結局自分だし、人に頼む訳では無いので他人に迷惑はかけてない。

 

2時間を有効に使える

→もし同時にしないと間に合わない作業があった時、2人でするから時間も半分になる。早く終わったら時間に余裕が生まれる。

 

デメリット

1.クローン人間に対する人権、その他権利はどうなるのか?

クローン、作られた存在といえど、人間は人間である。でも私と全く同じなので2人で1つということになるのか。

正直そんな世界になった場合権利について、国会など討論で白熱してる未来ありそうな気がする。

例えば、私がお金がなくて困ってたとする。クローンがバイト代と嘘をついて、友達から大金を借りて私に渡した。友達からお金返してと言われても、私には全く心当たりがないのだ。裁判になったとするとクローンが責任を問われるのか。捕まったりするのか。

また、他にも存在を軽視されて、不平等な扱いを受けるのではないか。とか。

そこらへんの判断が困難を極めそうだ。

 

2.裏切らない可能性がないと言いきれるのか?

→最初は全く同じことを考え、同じことを言い、同じように行動したとしても、それがずっと続くのか。

クローン人間の使い方としては、やっぱり前述の通り自分の代わりにしたい、楽に生きたいというのが常なのではないか。

授業に行かせる、働かせる、そういう生活を続けていくと、確実に私より知識はつくし、成長し学びを得るだろう。(知識共有機能があれば有能だが、体験と知識とはどうも差がある)

 

そうするとどっちが私なのか、分からなくなりそうだと感じる。一人の人間として成長していくクローン、徐々に退化する私という結末になりそうな感じもする。(そういったコンテンツに影響されすぎなのか)

もちろん退化する私を見てクローンは嫌悪感を抱くだろう。私だったらそう思うからだ。自分(クローン)は働いてるのに何してんの自分..みたいな。

クローンが嫌悪感を抱いたとして、私は気づくことができるのか。最悪どっちがオリジナル、私なのかー!なんてバトって、タヒんじゃうのでは。

うわあめんどくさい。

 

 

3.気持ち悪くなりそう。

→想像した個人的な感想。味方ではあるが結局自分だからだ。鏡状態の自分のクローン人間が目の前にいたら正直嫌だ。上手くやっていけそうにない。

 

4.同情すると、かわいそう。

フランケンシュタインみたいに、自ら望んで生まれたいと思って生命をもらってはいないんではだろうか。。自分もオンリーワンの人間として生きたかっただろうに。自分にも人間として人生を歩んでいきたいだろうに。誰かの人生をなぞるようにしか生きていくことができないなんて、少しかわいそう。

私がクローンとして生まれてきていたら、途中で生きることをやめたくなりそう。別人になりたいなんて感情が生まれるのではないか。

 

 

 こんな理由から、クローン人間の作成を否定したいと思う。

全否定するつもりもないし、その他メリットもあるだろうから、それでもいいという人はそうすればいいんじゃあないかと思うけど。共生はキチいな..と考えてみて思ったやましたでした。

 

=2 自己肯定感はどうすれば実感できるか=

どっちかといえばくよくよ悩みしがちの私には難しいでごわす。

とりあえず、ググっちゃやーよ(このネタわかる人いるかな..)な気がしたのでに考えてみました。

 

1.自分を褒める

これに限る感よな。どんなに小さいことでも、よくやった自分!って褒める!

道端のゴミを拾った時でも!友達の学生証を自分のと一緒に、ピッしに行ったりした時も!そんな感じでも気分は前向きになるし、毎日してると肯定感生まれないですかねえ。

なんかテレビで一日一回自分を褒めるといいって言ってたきがする。と思う。

 

2.他の人に褒めてもらう

自分の大切な人。家族だったり、親友だったり。こんなことを言い合えるような関係性に限りますかねえ...それでもこっ恥ずかしそうな感じはしますが。

自分で自分を、よりも他人からの方が効果ありそうだなってこの文を追加して書きながら思ってました。

可愛い可愛いって彼氏から褒められてたら、本当に可愛くなったなんて例もよく聞きます。

 

3.自分を客観的に見る

自分の身に起きた出来事を主観でなく、客観的に捉える。

友達・他人から「自分に起きた出来事」を聞いているという体で、それを聞いて自分はなんと思うかを考える。

 

もし自分が他人にとある嘘をついてしまったとする。

友達からその話を聞いたという観点になれば、

なんでそんな嘘をついたの?なんでそんな状態になったの?と状況を理解するために質問するだろう。

嘘をついた理由が人を慰めるための優しい嘘だとわかった場合、私は「多分気にしないで大丈夫と思うよー」ってアドバイスをあげるのではないか、少なくともその子をプラスに評価するかなと思う。

 

つまり自分が行ったことは誇らしいことではないか。という結論がでそう。

 

この過程って結局自問自答することでもあるのかな?

 

まあ第3者になってるから、ちょっと違うのかな。

やり方のコツとしては頭の中でなりきるのは難しいから、紙に書いてまとめたり、友達に内容を実際に伝えといて話してもらったり..とか。ですかねえ

 

4.悲しいことや嫌だったことを考えずに、前向きに生きる。

過去のことを振り返らずにまっすぐ生きる!笑 自己肯定感が低いってどこかいつかの自分に嫌気がさしたりしてるのでは?とか考えた結果。

過去の辛いことを何度も何度も考えたところで、今は関係ないし。それがあったからこそ糧として今があるなら、マイナスなことではないのでは!と思ったり。

嫌なことがあった日は反省点をまとめて次にいかす!もう振り返らない!くらいのスタンスで行けば良いのでは!

 

 

今回はこんな感じで締めようと思います。

何だか長くなってしまいましたが、ありがとうございました。